とある複業家の日記

日々の活動記録

1年後の自分を想像できるか

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なりたい姿を想像し、日々できることに全力で取り組む。こうした姿勢はとても大切ですが。未来は予測不能、思った通りにはなかなかならない。であれば、いま興味のあることに全力コミットですね。

 

未来は。

 

将来の自分自身の姿は。

 

想像するものではなく。

 

創造するものである。

 

そう考えています。

 

ときに。

 

1年後の自分の姿を想像できる(できてしまう)人生はつまらない。

 

そんなことを言う人もいます。

新しいことを始める ワクワク感 - とある複業家の日記

 

行き当たりばったりで生きる。

 

そのような意味合いではなく。

 

何に興味を持つのかわからない、時代の流れもどうなるか不明、であればそのときに好きになった、興味を持ったことにコミットする。

 

その結果が1年後だからこそ、1年後の姿は予測できない。

 

予測できてしまったら面白くない。

 

そんな感じに理解しています。

 

子どもの頃は。

 

1年後の自分に思いを巡らせることはあまりありません。

 

その時々に興味が出たことに、ただ没頭している。

 

ゆえに、未来など想像はしません(そもそも、未来という概念そのものへ考えが至っていないケースも多いでしょうが)。

 

もっとも、大人になると。

 

何となく未来が見えてきます。

 

いまのままの生活を、来年の今ごろも何となくしているんだろうな。

 

そう考える人も多いのかもしれません。

 

もちろん、安定や将来の一定程度の確実性は。

 

いまの精神安定につながるという側面は無視できません。

 

もっとも。

 

何らかの不満や不安、もどかしさや気持ち悪さを感じる場合。

 

1年後を創造するためにいま動くことは。

 

万人に共通の権利として認められているはずです。

 

多くの人は動きませんが。

 

動きたければ動くことができる。

 

想像するのではなく、創造していく。

 

そのために行動する。

 

そんな考えもありかもしれませんね。