何かに挑戦すると、自分の実力がわかります。意外と通用する、全く通用しない。これを知れただけでも、チャレンジした意味はある。
挑戦したり、実際に動くことで。
自分の実力のなさを体感することにもなります。
個人的には、それすらも心地よい、むしろどんどん新しいことを行なっていきたい、違う世界を見てみたいと思うのですが。
どうしても年齢と共に考えも、カラダも凝り固まり、新しい世界を見ようとしないようです。
もしかすると。
自分の知識や技術、経験が通用しない。
そうした事実に目を背ける、そうした事実を知ることを、無意識に避けているのかもしれません。
もちろん、そうした行動を否定する必要はありません。
いまいる世界が安心安全。
そう考えることも、人間の1つの本能なのかもしれません(生存本能)。
もっとも。
何者でもない自分に色付けをし。
何者かに変えていく。
これもこれで面白いのではないか。
そんなことを考えています。